顔面および皮膚の解剖学
美容医療を行う臨床医に必要な顔面および皮膚の解剖学について、各組織の構造と加齢に伴う変化、およびそれに対応する治療戦略を解説する。本章では、皮膚の層構造、顔面脂肪の区画、SMASと表情筋、顔面神経・三叉神経の走行、顔面の血管とフィラー注入時のデンジャーゾーン、顔面骨格の加齢変化とリジュビネーション戦略について、国際的に信頼性の高い文献に基づき説明する。
表皮・真皮・皮下組織の層構造と加齢変化
図1: 皮膚の層構造(表皮・真皮・皮下組織)の模式図。表皮は外層の薄い上皮組織、真皮はその下の結合組織層、さらに深部に皮下組織(皮下脂肪)がある。加齢に伴い各層で構造変化が生じる。
表皮(Epidermis): 表皮は主にケラチノサイト(角化細胞)からなり、外界からのバリア機能を担う。若年では約28日周期でターンオーバーするが、高齢になると細胞増殖・分化サイクルが遅延し、角質層の更新に時間を要する。加齢皮膚ではケラチノサイトの形態が変化し、小型で扁平な形態となり、角質細胞(コルネオサイト)は表皮ターンオーバー低下のため肥大化する。また基底層のメラノサイト数は加齢とともに減少し、10年あたり8~20%程度減少すると報告されている。その結果、メラニン産生の不均一化により老人性色素斑などの色素沈着斑が生じやすくなる。さらに表皮と真皮の境界(基底膜・真皮乳頭)は加齢で平坦化し、その表面積が著明に減少する(およそ中年以降35%程度の接合部面積の減少)。この表皮-真皮接合部(DEJ)の平坦化により、表皮と真皮の連絡が減少し、栄養・酸素供給が低下して創傷治癒や表皮の再生能力も低下する。加齢表皮ではランゲルハンス細胞も減少し、免疫応答が低下する。表皮のバリア機能自体は加齢下でも基本的には保たれるが、バリア回復力(ストレス時の予備能)は低下し、高齢者では皮膚の乾燥・微小外傷による易損性が増大する。実際、高齢皮膚では表面の水分量や天然保湿因子(NMF)の含有量が低下し、経表皮水分蒸散量(TEWL)の回復も遅延する。皮脂腺の数自体は変わらないものの皮脂の産生は著しく低下し、特に閉経後の女性では皮脂分泌が若年時の半分以下になることもある。これらの結果、高齢者の皮膚は乾燥し光沢が失われ、小じわや皮剥け(落屑)が生じやすい。
真皮(Dermis): 真皮は2〜3mm程度の厚みを持つ結合組織層で、コラーゲン線維とエラスチン線維が網目状に存在し皮膚の強度と弾力を与える。真皮には血管、リンパ管、知覚神経終末、付属器(汗腺・毛包など)が埋め込まれている。加齢により真皮厚は徐々に薄くなり(皮膚全体の厚みは成人期以降10年あたり約6%ずつ減少する)、細胞密度(線維芽細胞数や肥満細胞数)や血管分布が減少する。線維芽細胞の機能低下によりコラーゲン産生能が低下し、コラーゲン線維束は加齢とともに配列の無秩序化・架橋の増大をきたす。エラスチン線維も断片化・石灰化が進み弾性を失う。グリコサミノグリカン(GAG)やヒアルロン酸など真皮の基質成分も減少し、真皮の含水能・膨潤能が低下する。その結果、皮膚のハリ・弾力は失われ、容易に皮膚が伸展・変形してしまう(いわゆる皮膚のたるみ)状態となる。加齢による真皮構造の劣化は皮膚の機械的抵抗性を低下させ、擦過傷や皮下出血(紫斑)が起こりやすくなる。コラーゲン・エラスチンの減少に伴い深いシワや皺襞が形成され、表情筋の動きに伴う皮膚表面の折り目が恒常化して刻まれるようになる。
皮下組織(Subcutaneous tissue): 皮下組織は皮膚最下層の疎性結合組織であり、脂肪細胞(皮下脂肪)から構成される。皮膚を筋膜・骨格に繋ぎ留め、衝撃の緩衝やエネルギー貯蔵、体温維持に寄与する。近年、真皮直下の脂肪組織は**dWAT(皮膚真皮白色脂肪組織)**とも称され、幹細胞ニッチや免疫調節機能を有する重要な器官と考えられている。加齢により皮下脂肪層は全体として菲薄化し、特に顔面・手背・足底などの皮下脂肪が萎縮する一方、相対的に体幹や大腿部などでは脂肪沈着が増加する(脂肪の再分布現象)。顔面では加齢に伴い皮下脂肪が萎縮・下垂し、皮膚の薄化・ハリ低下と相まって頬のこけや輪郭のたるみが目立つようになる。皮下脂肪の減少・機能不全は真皮の微小環境にも悪影響を与え、創傷治癒遅延や慢性炎症( inflammaging )の助長など加齢変化を加速させると考えられている。以上のように、皮膚の各層はいずれも加齢により構造的・機能的変化を来たし、その結果として皮膚の薄層化、乾燥、シワ・たるみ、色素沈着、脆弱性の増大といった臨床的所見が生じる。
表在性・深在性脂肪パッドの構造と臨床的意義
図2: 顔面の深部脂肪コンパートメントの模式図(青色部位)。眼輪筋直下から頬骨弓下に位置する眼窩下脂肪や深部頬脂肪(deep malar fatなど)が示される。浅部脂肪(図示せず)はSMASより表層、皮下に位置し、鼻唇溝脂肪や頬脂肪など区画に分かれる。
顔面脂肪コンパートメントの区画: 顔面の皮下脂肪組織は身体の他部位と異なり、不均一で細かな区画に分かれて存在することが解剖学的研究で明らかになっている。各脂肪コンパートメントは線維性の中隔(隔壁)によって仕切られており、それぞれに独立した区域ごとの血管支配をもつ。このため顔面の皮下剥離を行う際、コンパートメント間の境界では中隔および栄養血管が出現する。コンパートメントごとに脂肪の性状(疎で可動性の高い脂肪 vs. 線維質で固い脂肪)や加齢による萎縮傾向も異なり、顔面加齢による容貌変化は全体が均一に痩せるのではなく部位特異的に起こることが確認されている。例えば中顔面では、ホホの前方を支える深部脂肪(deep fat)は加齢で萎縮し体積が減少する一方、皮下の表在脂肪(superficial fat)は下垂・移動しフェイスラインの崩れ(ジョウル形成)に関与する。この区画構造の理解は、加齢顔貌に対する外科的アプローチに革命をもたらした。すなわち、老化に伴い萎縮し凹みを生じる特定のコンパートメントにヒアルロン酸フィラーや脂肪移植で直接ボリュームを補う「リフト&フィル」戦略が可能となり、従来の単純な皮膚引き上げだけでは得られなかった若返り効果が得られるようになった。Rod Rohrichらの研究によって、顔面の脂肪は表在と深部に分かれ、さらに細分化された複数のコンパートメントからなることが示されている。浅層脂肪はSMAS(表在性筋膜)よりも表面側の皮下組織内に存在し、リガメント(支持靭帯)の末端により区画分けされる。代表的な浅部脂肪コンパートメントとして、頬部には外側→中央→頬骨下(マラーファット)→鼻唇溝→ジョウル(下顎縁)と外側から内側に5つの区画が存在する。これらはそれぞれ独自の中隔構造と栄養血管を持ち、加齢による容積変化の仕方も異なることから、老化による顔のこけ方・たるみ方に地域差を生む。一方、深部脂肪コンパートメントは表情筋群の深層、骨膜上に位置する脂肪で、眼窩周囲から頬部にかけて存在する。例えば深頬脂肪(deep malar fat)は上唇挙筋群の深層にあり、下眼瞼の脂肪(眼窩下脂肪)と連続して若い頃は下瞼と頬の段差を埋めるボリュームを提供している。加齢に伴い深部脂肪が萎縮すると中顔面の支持が失われ、いわゆる**「ゴルゴ線」や「ティアトラフ(涙袋下のくぼみ)」**が顕著になる。また浅部脂肪も支持靭帯のゆるみと重力で下方にずれ、法令線の肥厚や顎縁のたるみ(マリオネットライン、ジョウル)を形成する。以上より、顔面の若返り治療では、浅部と深部の脂肪区画それぞれの萎縮・移動に配慮し、適切な層にボリュームを補ったり(フィラー・脂肪注入)、支持靭帯の再固定やSMASの位置調整(リフト術)を組み合わせることが重要である。
SMASと表情筋の関係
SMAS(表在性筋膜系): SMAS(Superficial Musculoaponeurotic System)は顔面の皮下に広がる線維筋膜性の層であり、表情筋と連続して顔面全体を覆ういわば「筋膜性のマスク」である。SMASは1976年にMitzとPeyronieによって提唱された概念で、その正確な定義は現在も議論があるものの、一般には側頭筋膜浅葉から連続し、頬部の筋膜および広頚筋(プラティスマ)に至る筋膜性ネットワークとして理解されている。解剖学的には、SMASは頬骨弓の下方、広頚筋上縁より上方の顔面~頸部に広がり、耳下腺被膜や咬筋筋膜とも連続する薄い筋膜層である。SMASは表層の皮下脂肪と深層の顔面筋群(およびその筋膜)の間を区切るように存在し、5つの顔面軟部組織レイヤーのうち「第3層(筋・腱膜層)」に相当する。具体的にはSMAS=表情筋群とそれを覆う筋膜腱膜性組織の集合体であり、側頭部では側頭浅筋膜、正面では前頭筋腱膜、下方では広頚筋筋膜として連続している。SMASの厚みや構造は領域により異なり、鼻唇溝より外側の頬側では脂肪を多く含み可動性が高い一方、内側では脂肪に乏しく密な構造で皮膚と強固に付着している(SMASの外側・内側での組織学的差異)と報告されている。SMASは顔面の表情筋を皮膚の真皮に結び付ける役割を果たし、いわば表情筋の収縮力を皮膚に伝達・分配・増幅する「腱膜様の構造」とされる。MacchiらはSMASを「顔面筋群を一体化して協調収縮を可能にする中央腱」に喩えており、SMASによって各表情筋の働きが皮膚表面の表情変化として統合されている。例えば口輪筋や頬筋、眼輪筋などの表情筋はSMASを介して皮下組織・真皮と連続しており、収縮により皮膚を動かしシワや表情を作る。したがってSMASは顔面の表情動態の要であり、加齢によるSMASの支持力低下や弛緩は皮膚のたるみ・下垂に直結する。またSMASは顔面神経の枝より浅層に位置するため、美容外科手術(フェイスリフトなど)ではSMAS層までを剥離・吊り上げることで効果的に皮膚と表情筋の位置関係を若返らせる手技が確立されている。SMASはフェイスリフト術式の発展に大きく寄与した構造であり、SMASを適切に処理することで皮膚単独では得られない長期的なリフト効果が得られる。例えばSMAS自体をヒダ状に縫い縮めたり(SMASプリケーション)、一部を切除して再固定する(SMASリセクション)、あるいはSMASと表情筋を含む皮弁ごと引き上げて再固定する深層面リフト(extended SMAS法など)により、表層の皮膚に過度のテンションをかけずにたるみを改善できる。以上のように、SMASは表情筋と皮膚を連結する解剖学的基盤であり、その性状と加齢変化を理解することは外科的若返り術の成否に直結する。
顔面神経・三叉神経の解剖と麻痺リスク部位
図3: 顔面神経(第VII脳神経)の主な枝の走行と支配領域。側頭枝(Temporal)、頬骨枝(Zygomatic)、頬(顔面)筋枝(Buccal)、下顎縁枝(Marginal Mandibular)、頸枝(Cervical)が耳下腺付近の神経叢から放射状に出て表情筋を支配する。これらの枝は浅層で鋭角に走行するため手術や注射による損傷リスク部位が存在する。
顔面神経(Facial Nerve, CN VII): 顔面神経は表情筋の運動支配を司る脳神経で、側頭骨の茎乳突孔から出たのち耳下腺内で枝分かれし、「側頭枝」「頬骨枝」「頬筋枝(上顎/バッカル枝)」「下顎縁枝」「頸枝」の5大枝に分かれる。これらの枝は耳下腺の前縁付近で放射状に顔面に広がり、額の前頭筋から眼輪筋、頬筋、口輪筋、広頚筋に至る表情筋群を支配する。顔面神経主幹および各枝は通常SMASより深層、表情筋の浅層を走行するが、枝の走行経路は個人差が大きく、その深さや分岐パターンは一定しない。特に側頭枝(額枝)と下顎縁枝は皮下浅い層を走行するため手術や注射による損傷リスクが高い重要部位とされる。側頭枝は耳介の上方・頬骨弓のやや上を斜めに横切って側頭部に向かう。表層からの位置はピタングイ線(tragus下0.5cmと外眼角外側の眉上2cm点を結ぶ線)付近に一致するとされ、このラインより浅層を剥離する際には額枝麻痺のリスクがある。実際の側頭枝はSMAS浅筋膜を貫いて浅層に出てきた後、頬骨弓上を皮下で通過し前額へ向かうことが知られている。このエリアはフェイスリフトや側頭リフトのいわゆる「危険ゾーン」であり、術者は解剖学的ランドマークを把握して神経損傷を回避する必要がある。一方、下顎縁枝は下顎骨下縁に沿って走り口角下制筋などを支配する枝で、顎下2cm付近まで浅層に走行することがあり注意が必要である。特に下顎骨体部中央から後方約2cmの範囲(ちょうど下顎骨下縁中央あたりで顎下腺動静脈が交差する部位)はSeckelによって**「フェイシャルデンジャーゾーン」として定義されており、この部分で浅頚筋膜(SMAS-platysma)が薄くなり神経が表層近くを走るため損傷リスクが高い。実際、フェイスリフトの皮下剥離が下顎下2cmを超えて進むと下顎縁枝を引っ張ったり切断する恐れがあるため、リフト範囲設定の目安とされる。顔面神経の頬筋枝および頬骨枝**は鼻唇溝周囲の筋(大頬骨筋、小頬骨筋、上唇挙筋など)を支配するが、これらは上下・内外で連結枝が多く部分的な枝損傷では代償されやすい。これに対し側頭枝と下顎縁枝は交通枝が少なく、一側が損傷されると前額の皺寄せ不能や口角下制筋の麻痺(口角が下がらない)といった明らかな表情不全を呈しやすい。表情筋麻痺は美容外科的に深刻な合併症であり、術前から患者と十分なリスク共有が必要である。幸い、一過性の牽引損傷なら数週間〜数ヶ月で回復する例が多いが、完全断裂では神経修復術が検討される。非外科的施術でも、ボトックス注射の誤注入による一時的な顔面神経分枝の麻痺(例:前頭筋ボトックスの拡散による眼瞼下垂)が起こる場合があるため注意が必要である。
三叉神経(Trigeminal Nerve, CN V): 三叉神経は顔面の知覚を支配する大神経で、第I枝(眼神経V1)、第II枝(上顎神経V2)、第III枝(下顎神経V3)に分かれる。顔面表面に分布する主な枝として、前額部から眼瞼上部に眼窩上神経・滑車上神経(V1)、頬部から上唇に眼窩下神経(V2)、下唇・オトガイ部にオトガイ神経(V3)がある。これらはそれぞれ骨の孔(眼窩上孔、眼窩下孔、オトガイ孔)から顔面に出て皮膚知覚を司る。三叉神経は感覚神経であるため損傷しても顔面麻痺(運動麻痺)は生じないが、術中・施術中に損傷すれば知覚鈍麻や疼痛・異常感覚を残しうる。美容領域では、フェイスリフトや骨切り術で三叉神経の末梢枝を切断・牽引してしまうリスクがある。またフィラーや局所麻酔の注射の際に、針先が眼窩下神経やオトガイ神経の孔に入り込んだり、高圧で充填されて神経を圧迫すると、一時的な知覚異常・神経痛が発生することがある。例えば鼻翼基部やゴルゴ線へのフィラー注入では眼窩下神経の圧迫による上顎・鼻翼部のしびれ、口唇やオトガイへの過剰なフィラー注入でオトガイ神経領域の知覚鈍麻などが報告されている。幸い多くは一過性で数週間以内に改善する神経絞扼障害(neurapraxia)であるが、まれにフィラー肉芽腫による慢性的な神経痛の誘発例もある。従ってフィラー注入時には安易に骨孔部へ向けて過剰注入しないこと、注入中に患者に違和感や放散痛がないか確認することが重要である。
顔面の血管分布とフィラー施術時のデンジャーゾーン
顔面の血管解剖: 顔面の動脈は主に外頸動脈由来の顔面動脈と浅側頭動脈、および内頸動脈由来の眼動脈系(眼窩上動脈・滑車上動脈・眼窩下動脈など)によって構成される。顔面動脈は下顎骨下縁の前方(オトガイのやや外側)で顔面に入り、下唇動脈・上唇動脈を分枝し、鼻翼外側で外鼻動脈・鼻背動脈に至り、眼内角付近で終枝のAngular artery(カドゥコア動脈)となる。また浅側頭動脈は耳の前方を上行し側頭部から帽状腱膜下に向かう。眼動脈系の眼窩上動脈・滑車上動脈は前額部から前頭筋・眉間に、眼窩下動脈は下瞼から鼻唇溝上方に分布する。顔面の静脈還流は同名の静脈系を経て内外頸静脈へ至る。
フィラー注入における血管合併症: ヒアルロン酸などの軟部組織フィラーを顔面に注入する際、誤って血管内に注入してしまうと血管閉塞(塞栓)が生じ、組織壊死や失明など深刻な合併症を招く恐れがある。フィラー塞栓による網膜動脈閉塞(RAO)は稀ながら知られる合併症であり、グローバルな調査では失明症例の大半が鼻根部・眉間部への注入によって起きている。これは鼻背動脈や眼動脈枝(滑車上・眼窩上動脈など)がフィラーで逆流閉塞し、内頸動脈系を逆行して網膜中心動脈を詰まらせるためと考えられている。特に眉間(グラベラ)や鼻根~鼻背は重要なデンジャーゾーンであり、未熟な術者による不適切な注入で失明や皮膚壊死が生じたケースが複数報告されている。解剖学的には眉間部には滑車上動脈・鼻背動脈が走行し、これらは眼動脈と連絡しており、少量のフィラーでも強力に逆流すると眼に達しうる。鼻の背部および鼻尖もdangerousな領域で、ここには外鼻動脈(鼻背動脈)やその吻合枝が密集する。鼻背は皮膚も薄く血行障害で皮膚壊死を起こしやすいため、フィラーや脂肪注入時には特に慎重な術式が必要である。またこめかみ(側頭部)も浅側頭動脈およびその分枝(前耳介動脈など)が存在し、この動脈は眼窩の血管と吻合するため、側頭部へのフィラー注入でも理論上は失明が起こりうるとされる。ただし実際には側頭部のフィラーによる失明報告は非常に稀であり、むしろ側頭部では皮膚壊死のリスクに留意すべきである。次に中顔面では、鼻唇溝から頬中央にかけて顔面動脈(上唇枝・鼻翼枝など)が走るため、この領域のフィラー注入も血管内注入に注意が必要である。特に法令線(鼻唇溝)深部やゴルゴ線付近を安易に真皮深く注入すると、顔面動脈や眼窩下動脈への誤注入リスクがある。口周囲では、上唇・下唇の粘膜下を左右それぞれ上唇動脈・下唇動脈が走行する。唇は充填需要が高い部位だが、過剰なフィラー注入や不適切な層への注入により、これらの動脈を閉塞させると唇の大部分が壊死する危険がある。実際、上口唇中央部のフィラー後に人中~上唇皮膚が壊死した報告例が複数存在する。フィラー注入による血管障害は、色調変化(蒼白→暗紫)、網目状のチアノーゼ斑、激痛などの初期徴候で気付くことができる。術者は注入中に皮膚の色調変化や患者の疼痛訴えに細心の注意を払い、異常を感じたら直ちに注入を中止し対策を取る必要がある。具体的な対処法としては、患部の温めとマッサージ、ヒアルロニダーゼの即時注射(ヒアルロン酸フィラーの場合)、抗凝固薬(アスピリン)投与、高圧酸素療法の検討などが推奨されている。網膜中心動脈閉塞の兆候(眼の激痛、視力障害、眼瞼下垂、複視など)が出現した場合には眼科的緊急処置が必要であるが、残念ながら視力予後は不良であり失明が不可逆的となることも多い。したがって美容領域の注入治療では**「予防が最善の策」であり、危険部位を可能な限り避ける、どうしても注入が必要な場合はカニューレ針を用いて血管損傷のリスクを減らす、注入前に必ず陰圧をかけて(アspirationテスト)血管内に先端がないことを確認する、少量ずつ慎重に注入する、といった安全対策を徹底すべきである。解剖学的知識に基づき、フィラーのデンジャーゾーン**とされる部位(眉間、鼻根部・鼻背、鼻唇溝上部、額中央など眼動脈領域)は極力避け、必要なら鈍針カニューレで浅い層に注入することが推奨されている。以上のように、顔面の血管分布と重要構造を把握し、安全な施術を行うことが美容医療における必須条件である。
顔面骨格の加齢変化とリジュビネーション戦略
顔面骨格の加齢変化: 顔面の骨格(頭蓋顔面骨)は加齢に伴いリモデリング(再構築)を続け、全体として萎縮的変化を示す。長年、顔の老化は軟部組織(皮膚・脂肪・筋)の変化に注目が集まってきたが、近年の研究では骨格の変化も顔貌老化に大きく寄与することが明らかとなった。骨量の減少や形態変化により、顔面の輪郭が平坦化し支持構造が失われることで、軟部組織の下垂・シワが一層進行するのである。具体的な加齢変化として、眼窩は拡大し縁が後退する(眼窩開口部が垂直・水平径とも拡大し、眼球周囲の支持が減少)。その結果、眼瞼下垂や眼窩下縁部の陥凹(涙袋溝、強膜の露出増加)が生じやすくなる。中顔面では上顎骨(特に前歯槽部)の萎縮と後退により、鼻基部の支持が減り、鼻唇角の鈍化や鼻突出の相対的増大、上唇の菲薄化が起こる。また頬骨(zygoma)の容積減少で中顔面が平坦化し、これも頬脂肪の下垂を助長する。鼻の開口部(梨状孔)は拡大し、鼻翼軟骨の支持が減って鼻翼の陥没・変形が起こりやすくなる。下顎骨では、加齢に伴う下顎角部の骨量減少と下顎枝の短縮(高さ減少)が見られ、下顔面高が低下する。特に女性ではオトガイ部(下顎前方)の骨萎縮が強く、男性では下顎角部(エラ)の萎縮が強いとする研究もある。これらにより若年時は尖っていた女性のオトガイが高齢では平坦化し、男性ではエラ張りが減って下顎縁が丸みを帯びるという性差も報告されている。加齢に伴う骨の変化は全体的に萎縮性(収縮性)だが、部位によっては相対的に拡大する方向の変化もある。例えば上記の眼窩拡大や梨状孔拡大に加え、下顎骨は左右の関節突起間・下顎角間の距離が広がる(顎のU字アーチが開大する)との報告がある。このように顔面骨格は単なる萎縮だけでなく立体的な形態変化を示すため、的確な骨格変化の評価には3次元的な解析が重要である。3D-CTを用いた研究では、加齢により男女とも眼窩傾斜や前頭骨傾斜が変化し、中顔面の角度が減少すること、中顔面横幅(眼窩間距離など)は有意な変化がないことなどが示されている。骨格の加齢変化は軟部組織の変化と相まって、加齢顔貌(老け顔)を形成する主要因である。例えば眼窩や上顎の骨萎縮は目元・頬の窪みとして現れ、下顎骨の萎縮は下顎縁の皮膚たるみ(マリオネットラインや二重顎)として現れる。したがって審美的なアンチエイジングを考える際、骨格へのアプローチも視野に入れる必要がある。
リジュビネーション戦略: 顔面の若返り治療では、上述した軟部組織と骨格の両面に対する対策が求められる。軟部組織に対してはフェイスリフト術やアイリフト術などの手術的リフト(たるみ除去)、ヒアルロン酸や自家脂肪によるボリューム補填、ボトックスによる表情ジワの緩和などが行われている。一方、骨格の萎縮による支持構造の喪失には、それを補う骨格性のボリューム増加が有用である。具体的には、オーグメンテーションと総称される施術で、顎や顴骨へのシリコンインプラント挿入、骨セメント注入、さらには骨切り術による再構築が行われることもある。近年はメスを用いない骨格補強として、深部組織への高濃度ヒアルロン酸フィラー注入(例:頬骨上やオトガイ部の深部にフィラーを骨膜上注入して擬似インプラント効果を狙う手法)も一般的になりつつある。Sir Harold Gilliesの「失われた組織は同種のもので置換せよ(“replace like with like”)」という原則にならい、骨による支えが失われた部分にはボーンサポートの回復を、脂肪の減少には脂肪あるいは代用物質によるソフトなボリューム回復を、それぞれ適材適所で行うことが理想とされる。例として、眼窩周囲のくぼみには脂肪注入や骨膜下フィラーで膨らみを戻し、顎の後退にはオトガイ形成術やプロテーゼ挿入でプロジェクションを高め、頬の平坦化には頬骨インプラントや深部フィラーで支柱を作る、といった具合である。さらに顔面の支持靭帯(リガメント)の緩みに対しては、リフトアップ手術で靭帯を引き締め固定し直すことで皮膚・脂肪を元の位置に復位させる戦略も有効である。以上のように、顔面若返りにおいては骨格から皮膚までの包括的なアプローチが重要であり、解剖学的知見を踏まえた治療計画によって初めて医学的に安全かつ審美的に満足のいく結果が得られる。
参考文献: グレイ解剖学、第41版(2021年);Rohrich RJら「The Fat Compartments of the Face: Anatomy and Clinical Implications for Cosmetic Surgery」(Plast Reconstr Surg. 2007);Wollina Uら「Facial vascular danger zones for filler injections.」(Dermatologic Therapy. 2020); Sharaf BAら「How does the mandible age?」(PRS Global Open. 2025) ほか多数. (※各所に引用した文献を参照)
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