RMNW資料

R02.アナボリックステロイド(AAS)

アスリートにおける使用実態・国内外の状況・トラブル事例・禁止状況・今後の展望

― 医師向け知識資料(教科書執筆準備稿・2026年8月時点)―


本資料の位置づけ

本資料は、害の予防・早期発見・臨床管理、および医療機関のコンプライアンス確保を目的とする医学教育資料である。推奨用量、サイクル設計、スタック構成、薬剤の入手経路、ドーピング検査の回避方法は一切記載しない。市中で用いられている薬剤の種類・使用パターンの用語は、臨床医が患者の申告と検査所見を正しく解釈するために必要な範囲で、疫学的・記述的事実としてのみ記述する。

先行して作成した「PED包括レポート」が薬物群全般を横断的に扱ったのに対し、本稿はAAS一本に絞り、社会的・規制的文脈と医療機関側の実務に重心を置いた姉妹編である。臓器系別の有害事象と離脱後管理の詳細は先行レポートを参照されたい。


エグゼクティブサマリー

  1. AASは世界のドーピング検査で最も多く検出される物質群である。 2022年のWADA検査統計では全AAF(違反が疑われる分析報告)の42%が蛋白同化薬で、そのうち86%超がAASに帰属した。一方、使用者の大多数は競技者ではなく、外見志向の一般成人男性である。
  2. 日本の特殊性は「規制の空白」にある。 国内には筋肉増強目的で薬事承認された医薬品が存在せず、AASは麻薬及び向精神薬取締法の対象でもない。自己使用目的の個人輸入は規制されていないため、医師の関与なく入手されるのが実態である。スポーツ庁は、この状況を1990年前後の米国と類似すると指摘している。
  3. 医療機関はいま、加害側にも防波堤側にもなり得る立場にある。 スポーツ庁は「筋肉増強目的で薬剤を処方している医療機関」のウェブサイトが効果を強調し副作用説明が不十分であることを名指しで問題視している。同時に、2024年7月の共同宣言には日本医師会が賛同団体として名を連ねた。競技者を診療する医療機関にとっては、AAS処方の是非のみならず、外用剤・点滴・再生医療手技のアンチ・ドーピング適合性が実務上の争点となる。

第1部 AASの基礎(医師向け要点)

1.1 定義と分類

AAS(anabolic-androgenic steroids/蛋白同化男性化ステロイド薬)は、テストステロンおよびその誘導体の総称であり、アンドロゲン受容体を介して蛋白同化作用と男性化作用を発揮する。両作用は分離不能であり、「同化作用だけを持つステロイド」は存在しない。

臨床上、毒性プロファイルが大きく異なる2群を区別することが重要である。

区分代表薬主たる毒性の特徴
17α-アルキル化経口剤スタノゾロール、オキシメトロン、オキサンドロロン、メタンジエノン、メチルテストステロン肝初回通過代謝を回避する構造が肝毒性の主因。胆汁うっ滞性肝障害、peliosis hepatis、肝腺腫、肝細胞癌
注射用エステル剤・19-ノル誘導体テストステロン各種エステル、ナンドロロン、ボルデノン、トレンボロン、ドロスタノロン肝胆道毒性は比較的まれ。ただし心血管毒性・内分泌抑制は同等以上。注射手技関連合併症(膿瘍、血液媒介感染)が加わる

WADA 2026禁止表では、エステル類も禁止対象であることが明文化された(2026年改訂点)。「テストステロンエナント酸はテストステロンとは別物」という誤解は通用しない。

1.2 用量の桁を把握する

臨床医が患者の申告を評価する際の基準として、以下の対比が有用である。

  • 男性の内因性テストステロン産生:概ね1日5〜10mg相当
  • 性腺機能低下症に対する標準補充:おおむね生理的範囲を目標とする
  • Bhasinら(NEJM 1996)の実験的投与:テストステロンエナント酸 週600mg — これでも超生理的
  • 市中の非医療的使用者の報告:内因性産生の5〜100倍、かつ多剤併用

つまり、患者が「TRTと同じようなもの」と説明する場合でも、実際の曝露量は補充療法とは桁が違う可能性が高い。問診では薬剤名・剤形・併用数を確認する。

1.3 使用パターンの用語(記述的知識)

患者申告を解釈するために必要な範囲で列挙する。

  • cycle(サイクル):使用期間と休薬期間の反復。典型的には4〜28週
  • stacking:複数薬剤の同時併用
  • pyramiding:漸増後に漸減
  • blast and cruise:高用量期と低用量維持期を繰り返し、完全な休薬を置かない
  • PCT(post-cycle therapy):中止後にhCG、SERM、アロマターゼ阻害薬等を使用する慣行。有効性を示すRCTは存在しない(後述)

「blast and cruise」を申告する患者は、事実上休薬期間がなく、HPG軸回復の見込みが最も乏しい群である。


第2部 使用実態

2.1 国際的な状況

疫学

  • 世界の生涯使用率のメタアナリシス(Sagoe et al., Ann Epidemiol 2014、187研究):全体3.3%(95% CI 2.8–3.8)、男性6.4%、女性1.6%。アスリート13.4%に対し、レクリエーションスポーツ愛好者は18.4%と、むしろ非競技者で高い。
  • 米国では13〜50歳のうち290〜400万人が使用経験を有し、うち約100万人がAAS依存を経験した可能性がある(Pope HG et al., Am J Addict 2014)。
  • 使用者の最大30%が依存を発症(Pope et al., Endocr Rev 2014、内分泌学会科学声明)。
  • 典型的使用者像は「プロ選手」ではない。約2000人規模の使用者調査では、平均30歳前後・平均以上の収入を持つホワイトカラー・高学歴層が中心と報告されている。

ドーピング検査統計から見た位置づけ

WADA検査統計に基づく解析(Thevis et al., Drug Test Anal 2025、Annual Banned-Substance Review 第17版)によれば、2022年の全AAFのうち42%が蛋白同化薬であり、そのうち86%超がAASであった。競技種目別では重量挙げ、陸上、ラグビー、ホッケー、バレーボールで蛋白同化薬の比率が有意に高い。

ボディビル競技者の死亡リスク(重要な新知見)

Vecchiato M, et al. Mortality in male bodybuilding athletes. Eur Heart J 2025;46(30):3006-3016.

  • 2005〜2020年のIFBB大会出場男性選手 20,286名、追跡8.1±3.8年(190,211 athlete-years)
  • 死亡121例、うち突然死73例、心臓性突然死(SCD)46例
  • 現役競技者のSCD発生率 32.83/10万athlete-years(平均年齢34.7±6.1歳)
  • プロ選手はアマチュアに対しSCDのハザード比 5.23(3.58–7.64)
  • 剖検所見は一貫して心拡大と心室肥大
  • 死亡時平均年齢45歳、全死亡の38%がSCD

著者らは、この結果がボディビル界と医療界の双方に予防措置の強化を促すものであると同時に、筋力トレーニングやフィットネス文化そのものを否定するものではないことを明記している。臨床説明の際にはこの区別を保つべきである。

死亡率コホート(既報)

  • デンマーク全国コホート(Horwitz H et al., J Intern Med 2019、n=545 vs 5450):死亡ハザード比 3.0(95% CI 1.3–7.0)
  • スウェーデンのAAS検査陽性者コホート:一般人口比で標準化死亡比が著明に上昇

2.2 日本国内の状況

公的機関の現状認識

スポーツ庁は「スポーツにおける医薬品の不適切使用の防止」において、以下を公式に指摘している。

トップアスリートには厳格な教育・啓発が行われているが、レクリエーションとしてスポーツや運動を行う一般向けには医薬品の不適切使用がまん延傾向にあり、安全性やリスクに関する情報が十分に周知されていない。

同庁の「筋肉増強剤を知る」ページは、AASについて心疾患、肝機能障害、性機能障害、倦怠感、ムーンフェイス、女性化乳房、ざ瘡、脱毛を挙げ、やめた後も後遺症による悪影響があると明記している。

2024年7月9日の共同宣言調印式におけるトークセッションでは、順天堂大学・谷本道哉教授が、アナボリックステロイドがインターネットで容易に入手でき、「病院に行けば筋肉増強外来として注射を打つこともできる」状況を挙げ、1990年頃の米国(プロレス団体での組織的ドーピングと多数のレスラーの心疾患死)と現在の日本の状況が似ているという認識を示した。

規制上の空白

論点日本の状況
筋肉増強目的の承認薬存在しない(スポーツ庁明記)
個人による輸入自己使用目的であれば規制されていない。販売目的の輸入・国内での無許可販売・転売は薬機法違反
麻薬及び向精神薬取締法AASは対象外
米国との比較米国ではAASはControlled Substances Act の Schedule III。日本にはこれに相当する専用規制がない
健康被害時の救済個人輸入品は医薬品副作用被害救済制度の対象外

厚生労働省は、個人輸入品について偽造品・不良品による健康被害の報告を繰り返し公表しており、2019年には筋肉増強剤(アナボリックステロイド)の流通経路等について調査に着手したと報じられている。

国内の違反事例の性格

JADAの規則違反決定は毎年公表されており、蛋白同化薬(S1.1)に該当する事案(例:メタンジエノン)も含まれる。国内事案の特徴として、

  • 「意図的でない」旨の主張が認められても資格停止2年という重い帰結になり得ること(原則4年からの短縮)
  • サプリメント経由の非意図的曝露が繰り返し問題化していること

が挙げられる。競技団体側は選手教育を行っていても防ぎきれないと表明している。

エビデンスギャップ(日本)

日本国内におけるAAS使用率の全国調査データは事実上存在しない。 ジム・SNSでの流通実態、医療機関経由の処方実態、健康被害の発生頻度のいずれも定量的把握がなされていない。教科書化に際して最も大きな空白であり、独自調査の価値が高い領域である。


第3部 トラブル事例

臨床医が知っておくべき事例を4類型に整理する。

3.1 競技者の制裁事例 ― 「意図」は免責しない

Ben Johnson(1988年ソウル五輪、スタノゾロール)

金メダル剥奪。世界陸上ローマ大会まで遡って記録抹消、その後の再陽性で永久追放。AAS問題を世界に認識させた画期的事例。

Jannik Sinner(クロステボール、2024〜2025年)― 医療者にとって最重要の教訓

経過:

  • 2024年2月、フィットネストレーナーがイタリアの薬局でTrofodermin(クロステボール含有の市販創傷用スプレー)を購入。イタリアでは合法かつOTCで容易に入手可能
  • 3月上旬、理学療法士が自身の指の切り傷に9日間使用。その間、手袋を着用せずに選手にマッサージと足のテーピングを実施
  • 3月10日および18日の検体からクロステボール陽性(本人は検出量が1ナノグラム未満であったと説明)
  • ITIA独立審判機関は経皮汚染の説明を科学的に妥当と認め「no fault or negligence」と判断。ただしIndian Wellsの成績・賞金・ポイントは剥奪
  • WADAはCASに上訴。2025年2月、3か月の資格停止で和解成立

医療者への含意: WADA事務局長は「選手には取り巻き(entourage)に対する責任が依然として存在する」との立場を明示した。医療者・トレーナー側の一手技が、選手のキャリアと自らの立場を同時に危うくし得る。

Fernando Tatis Jr.(MLB、クロステボール)

同一物質で80試合の出場停止。クロステボールは米国でもSchedule III指定物質である。

イタリアにおけるクロステボール事案の集積

Trofodermin類似製品に起因する陽性事案がイタリアで多発しており、真の偶発汚染か意図的使用かの識別が困難であることが議論されている。外用製剤であっても蛋白同化作用を有する点が問題の核心である。

3.2 健康被害・死亡事例

  • 心臓性突然死:前述のIFBBコホート。剖検所見は心拡大・心室肥大で一貫。2024年11月にはブラジルで28歳の元ボディビル選手がジムでの運動中に心停止し、1時間超の蘇生に反応せず死亡した事例が報じられている(既往なしとされる)
  • 早発性冠動脈疾患:Baggishら(Circulation 2017)の横断研究で、使用者のLVEFは52±11%(非使用者63±8%)、冠動脈プラーク量は生涯累積量と用量依存関係を示した
  • 腎障害:Herlitzら(J Am Soc Nephrol 2010)のボディビルダー10例で、9例に巣状分節性糸球体硬化症(FSGS)。平均蛋白尿10.1g/日、平均血清Cr 3.0mg/dL、1例がESRDへ進行
  • 肝障害:17α-アルキル化経口剤による黄疸・peliosis hepatis・肝腫瘍
  • 精神症状と自殺:中止後の低テストステロン期におけるうつ・自殺念慮

3.3 汚染・偽造品

  • サプリメントへの未表示混入:日本の薬剤師会等も、①筋肉増強、②脂肪燃焼、③痩身を標榜するサプリメントに、蛋白同化ホルモン、エフェドリン、利尿薬が表示されずに含有されていた報告を注意喚起している。「表示成分を見て大丈夫と判断する」ことは危険である
  • 個人輸入品の偽造・不良:正規品に似せた偽薬、表示と異なる含量が指摘されている
  • 食肉汚染:クレンブテロール等(AASの範疇外だがS1.2)

3.4 医療機関が当事者となるトラブル

これは本資料の読者にとって最も重要な類型である。

  1. 広告・説明の適正性 スポーツ庁は「筋肉増強を目的として薬剤を処方している医療機関」について、そのウェブサイト等が薬物使用による効果を強調し、副作用に関する説明が不十分であることも多く、専門家からも危険性が指摘されていると公式に記載している。これは薬機法上の広告規制、医療広告ガイドライン、説明義務のいずれの観点からもリスクを構成する。
  2. 競技者への不用意な投与 AASは競技会外を含め常に禁止(S1.1、非特定物質)である。TUEなしで競技者に投与すれば、選手はADRV、医療者はサポートスタッフ(ASP)として関与の対象となり得る。国内には、競技者への筋肉増強治療を明示的に断り誓約書を求める運用をとるクリニックも存在する。
  3. 外用剤・点滴・再生医療手技の見落とし 後述する第4部4.3を参照。AASそのものを扱わない医療機関でも抵触し得る領域である。

第4部 禁止状況

4.1 WADA 2026年禁止表におけるAASの位置づけ

(2026年1月1日発効、日本語版は日本アンチ・ドーピング機構が発行)

S1 蛋白同化薬 ― 常に禁止(競技会時および競技会外)/この分類の全物質は「特定物質でない物質」

「特定物質でない」ことの実務的意味は大きい。特定物質であれば、体内への侵入経路と競技力向上目的でないことを証明できれば資格停止期間の短縮余地があるが、AASにはその緩和が原則として適用されない

  • S1.1 AAS:1-アンドロステロン、ボルデノン、クロステボール、ダナゾール、ドロスタノロン、フルオキシメステロン、メスタノロン、メステロロン、メタンジエノン、メテノロン、メチルテストステロン、ナンドロロン、オキサンドロロン、オキシメトロン、プラステロン(DHEA)、スタノゾロール、テストステロン、トレンボロン、テトラヒドロゲストリノン ほか多数。および類似の化学構造または類似の生物学的効果を有するもの(エステル類を含む)
  • S1.2 その他の蛋白同化薬:クレンブテロール、オシロドロスタット、ラクトパミン、SARMs(アンダリン、エノボサルム/オスタリン、LGD-4033、RAD140、S-23、YK-11)、ゼラノール、ジルパテロール

「PCT薬」も禁止対象である点に注意

臨床現場でしばしば見落とされるが、AAS中止後に用いられる薬剤群も禁止表に収載されている。

分類該当薬備考
S4.1 アロマターゼ阻害薬アナストロゾール、レトロゾール、エキセメスタン、ホルメスタン等特定物質
S4.2 抗エストロゲン薬・SERMクロミフェン、タモキシフェン、ラロキシフェン、トレミフェン等特定物質
S2.2.1 テストステロン刺激ペプチドhCG、LH、GnRHおよびその作動薬類似物質、キスペプチン男性において禁止

つまり、AASを使用した競技者に対する「回復治療」として安易にhCGやクロミフェンを処方すれば、それ自体が新たなADRVを構成する。男性競技者へのhCG投与は特に注意を要する。

4.2 2026年改訂の要点

項目内容
S1.1エステル類も禁止であることを明確化
M1.1血液・血液成分の採取は、①分析目的、②認定血液センターでの提供目的を除き禁止。血小板濃縮血漿(PRP)および関連処置は引き続き禁止されないことが明記された
M1.4(新設)診断目的以外の一酸化炭素供給(再呼吸システム・装置)を禁止
M3.2正常細胞・遺伝子改変細胞に加え、**細胞構成成分(核、ミトコンドリア、リボソーム等)**を追加
S4.1α-ナフトフラボン(7,8-ベンゾフラボン)追加。サプリメント中に含まれていることがある
S6フルモダフィニル、フラドラフィニル追加。サプリメントとして販売されている
監視プログラムエクジステロン、セマグルチド・チルゼパチドのマーカー等

4.3 再生医療・自由診療クリニックが特に確認すべき条項

AASを扱わない医療機関でも、競技者を診療する場合に以下は直接の実務論点となる。

  • M2.2:静脈内注入および/または静脈注射で、12時間あたり計100mLを超える場合は禁止(入院設備を有する医療機関での治療・受診過程、外科手術、臨床検査の過程で正当に受ける場合を除く)。ビタミン点滴、いわゆる疲労回復点滴、水分補給目的の点滴は、成分が禁止物質でなくても量で抵触し得る
  • PRP:2026年禁止表の変更要約において、禁止されないことが明示的に確認された。ただしM1.1の血液採取に関する文言整理の文脈での確認であり、施行時点の最新文書を毎年確認する運用が必要。
  • S2.3 成長因子および成長因子調節物質:FGF、HGF、IGF-1、MGF、PDGF、チモシン-β4(TB-500)、VEGF、および筋・腱・靭帯における蛋白合成/分解、血管新生、エネルギー利用、再生能、筋線維タイプ変換に影響を与えるその他の成長因子または成長因子調節物質が禁止。再生医療領域の製剤・手技のうち、この記述に該当し得るものがないかは個別の確認を要する。
  • S0 無承認物質BPC-157、DNP等。「ペプチド」として流通するものの多くはここに該当する。
  • M3.2 細胞ドーピング:正常細胞または遺伝子改変細胞、および細胞構成成分の使用。細胞治療を競技者に行う場合は事前確認が不可欠。
  • S9 糖質コルチコイド:注射・経口・経直腸は競技会時に禁止。関節周囲・関節内・腱周囲・腱内の局所注射も対象で、ウォッシュアウト期間(原則3日、プレドニゾロン/プレドニゾン/トリアムシノロンアセトニド/トリアムシノロンヘキサセトニドは10日、トリアムシノロンアセトニドの筋注は60日)が設定されている。2026年から徐放性製剤ではウォッシュアウト期間経過後も検出され得る旨が脚注として追加された。

実務上の含意:整形外科的疼痛管理を行う医療機関にとって、ステロイド関節注射のウォッシュアウト管理は、AAS以上に日常的なリスクである。

4.4 日本の規制枠組み

  • 医薬品医療機器等法(薬機法):AASの多くは処方箋医薬品。国内での処方箋なし販売は違法。未承認医薬品の広告は薬機法第68条に抵触
  • 個人輸入:自己使用目的に限り可能。ただし重大な健康被害のおそれがある医薬品は、数量に関係なく医師の処方箋等が確認できない限り輸入が認められない類型がある(厚生労働省の確認を要する医薬品リスト)
  • JADA体制:日本アンチ・ドーピング規程に基づき、日本アンチ・ドーピング規律パネル(日本スポーツ振興センター)が違反事案を決定。決定は公表される
  • TUE(治療使用特例):4条件(①診断された疾患で当該治療が必要、②健康回復を超える競技力向上の利益がない、③合理的な代替治療がない、④過去の不正使用に起因しない)。AASでTUEが認められるのは真の性腺機能低下症等に限られ、審査は厳格である
  • 共同宣言(2024年7月9日):スポーツ庁と日本製薬団体連合会が調印。賛同団体には公益社団法人日本医師会、公益社団法人日本薬剤師会、一般社団法人日本臨床スポーツ医学会等が名を連ねる。医療者側にも啓発の当事者性が明示されたことの意味は大きい

4.5 競技団体側の動き

WADAは国際ボディビルディング・フィットネス連盟(IFBB)に対して規程非遵守(non-compliance)を宣言している。ボディビル競技はドーピング統制の枠組みの外側に置かれつつあり、これが第2部で示した死亡率データの背景をなす。


第5部 検査と診断

5.1 アンチ・ドーピング検査の仕組み(医師が説明できるべき水準)

  1. 尿ステロイドプロファイル:内因性ステロイドの濃度と比(T/E比、5α-diol/E比等)を評価
  2. アスリート・バイオロジカル・パスポート(ABP)ステロイドモジュール:2014年開始。個人の縦断的基準範囲からの逸脱を検出。2023年に血中テストステロンおよび4-アンドロステンジオン(A4)とT/A4比が追加された。これは、尿中排泄量の少ない男性や低用量投与の女性で従来法が検出しきれなかった弱点への対応である
  3. GC/C/IRMS(炭素同位体比):外因性か内因性かを確定。WADA統計上、AAF率が最も高い分析法(2023年で2.45%)
  4. ドライブラッドスポット(DBS):テストステロンエステルの直接検出が可能。Sustanon 250mg筋注後、ABPの尿中指標では5〜14日程度の検出であるのに対し、DBSはエステルのそのものの検出により投与の明確な証拠となり得る

5.2 一般臨床でAAS使用を疑う所見

所見解釈
超生理的テストステロン+LH/FSH抑制外因性投与を強く示唆(使用中)
低テストステロン+低〜不適切正常LH/FSHAAS誘発性性腺機能低下症(ASIH、離脱後)
HDL著明低下、LDL上昇AASの特徴的脂質パターン
ヘマトクリット高値二次性赤血球増多
精巣萎縮、女性化乳房、重症ざ瘡、急速な筋量増加身体所見
女性での嗄声・多毛・陰核肥大不可逆化する前の早期介入が鍵

検査解釈の落とし穴

免疫測定法がAAS代謝物と交差反応し、測定ホルモン濃度を偽性に上昇させ、「回復した」と誤判定する危険が報告されている(Bandura et al., Andrology 2025)。回復判定にはLC-MS/MS等の特異的測定法を用いることが望ましい。

5.3 離脱後管理の要点(詳細は先行レポート参照)

  • HPG軸回復:内分泌指標は概ね3〜10か月、精子形成は10〜14か月以上。使用期間・薬剤数・用量・年齢が回復不良の予測因子
  • PCTの有効性を示すRCTは存在しない。HAARLEM study(Smit DL et al., Hum Reprod 2021)ではPCTの検出可能な効果は認められなかった。hCGやSERMの処方は、有効性が未証明であること、および男性競技者ではそれ自体が禁止物質であることの双方を説明した上で判断する
  • 離脱期のうつ・自殺念慮のスクリーニングと精神科連携
  • 心血管評価(心エコー、脂質、血圧)と長期フォロー

第6部 今後の展望

6.1 規制の展望

2027年版世界アンチ・ドーピング規程(2027年1月1日発効)

2023年9月開始の2年間・多段階の改定プロセスを経て、2025年11〜12月の釜山(韓国)における第6回世界ドーピング防止会議で承認された。Codeは概ね6年ごとの改定であり、今回が現行2021年版からの更新となる。AASに直結する主な変更点は以下。

  • 早期自白・制裁受諾による減軽の拡充:4年以上の資格停止に対する1年短縮を維持しつつ、資格停止期間がそれ未満の場合に25%の減軽を新設
  • 情報提供による減軽:第三者の責任を特定しない場合でも、自身のドーピング方法や検出回避の経緯を提供したケースに15%の減軽を適用し得る
  • Independent Review Expert の新設:アンチ・ドーピング機関がAAFを不問に付そうとする場合、独立専門家によるレビューを義務づける
  • サポートスタッフ(ASP)への規律強化:未成年者・被保護者が違反した場合、ASPの調査が自動的に義務化。ASPには教育受講義務と正確な情報提供義務が課され、違反が規則違反に至らない場合でも懲戒対象となり得る
  • 上訴期限の統一:WADA以外の当事者は決定受領後21日等
  • 公表範囲の調整:違反なしまたはNo Faultの場合は原則非公表(既に公知の場合を除く)
  • 検査国際基準(IST):トレーニング・競技後の血清検体採取前に60分の待機を要求(変動の抑制)

医療者にとって最も重要なのはASPに関する規律強化である。競技者を診療する医師は、実質的にサポートスタッフとして規程の射程に入り得ることを前提とすべきである。

日本国内

スポーツ庁と日本製薬団体連合会の共同宣言に基づくテーマ別キャンペーンは、テーマ1「筋肉増強剤」に続くテーマ2が予告されている。医療機関の広告・処方実態に対する監視は強化される方向にあると見るのが妥当であり、自由診療領域での「筋肉増強外来」的サービスは今後、規制・世論の両面で圧力を受けやすい

6.2 検出技術の展望

  • 血中ステロイドプロファイル:UHPLC-HRMSによる複数内因性ステロイドの血清定量。特に女性の低用量テストステロン投与に対する感度向上が期待される。T/A4比が最も高感度と報告されている
  • DBSの実装拡大:低侵襲、輸送・保存が容易、エステル直接検出が可能
  • 血清IRMSの改良:従来の尿中IRMSを補完
  • メタボロミクス/トランスクリプトミクス:個別化基準範囲による間接的検出。ALAS2 mRNA等(EPO領域で先行)の手法がステロイド領域にも波及する可能性
  • 女性特異的バイオマーカーの必要性が指摘されている(現行手法の最大の空白の一つ)

6.3 「Enhanced Games」― 医学的監督下の使用という主張

2026年5月24日、米ラスベガスでEnhanced Games(TEG)の第1回大会が開催された。ドーピング検査を行わず、医学的監督下でのパフォーマンス向上薬使用を認める初の大型競技会である。

事実関係:

  • 主催:Enhanced Group Inc.(NYSE上場、ティッカー ENHA)。創設者はAron D’Souza。出資にPeter Thiel、Donald Trump Jr.関連のベンチャーファンド(1789 Capital)
  • 競技:競泳、陸上短距離、重量挙げ。優勝賞金25万ドル、世界記録更新に100万ドルのボーナス
  • 主催者発表による参加選手の使用状況:テストステロン91%、成長ホルモン79%、アナボリックステロイド29%
  • 一部選手(Fred Kerley、Hunter Armstrong、Tristan Evelyn ら)は薬物を使用せず出場したと表明。Kerleyは2028年五輪の出場資格保持を理由に挙げた
  • WADA、IOC、World Aquatics、World Athletics、国際重量挙げ連盟がいずれも非難。World Aquaticsは参加者を自団体競技から排除する細則を採択。記録は公認されない
  • 結果として世界記録を上回った競技は1種目のみと報じられている
  • 同社はテレヘルスおよび「パフォーマンス医療」製品(「パーソナライズされたテストステロン」、ペプチド、GLP-1等)の販売を事業モデルの中核に据えている

医学的評価: ハーバードのAaron Baggish(前掲Circulation 2017の筆頭著者)は、医学的監督があるという主張について「私が医師としてあなたが喫煙するのを見ていれば喫煙を安全にできる、と言うのと同じだ」と批判している。国際スポーツ医学連盟も懸念を表明した。

なぜ本資料で扱うか: この動きは、①「医師の管理下なら安全」という言説を商業的に正当化する、②医療機関・テレヘルス事業者を供給側に組み込む、という二重の意味で、日本の自由診療領域にも波及し得る。「医学的監督」は超生理的用量の心血管・内分泌毒性を消去しないという点は、臨床医が明確に持つべき立場である。同時に、この主張が持つ一定の合理性(無管理の闇市場使用よりは害が少ないという harm reduction 的論理)と、それが競技倫理・長期毒性・商業的利益相反によって相殺される構図の双方を、教科書では公平に記述する必要がある。

6.4 使用薬剤のシフト

AASへの規制と検出技術の進展に伴い、市中の関心はSARMs、ペプチド、GH分泌促進薬へ移行しつつある。これらは、

  • 「サプリメント」として表示を偽って流通する(WADA 2026禁止表もα-ナフトフラボンやフルモダフィニルについて「サプリメント中に含まれていることがある」と明記)
  • 臨床データが乏しく、SARMs関連薬剤性肝障害の症例報告が集積しつつある
  • 検出法の整備が後追いになる

という点で、AAS以上に評価が困難である。教科書では独立章を設ける価値がある。

6.5 Harm reduction をめぐる論点

日本において、使用者は医師の関与なく個人輸入で入手している。この現実を前提とすると、医療機関には以下の選択肢がある。

  1. 一切関与しない(結果として使用者は無管理のまま推移)
  2. 非審判的に受診を受け入れ、健康被害のモニタリングと中止支援を行う(供給は行わない)
  3. 供給側に立つ

2が臨床的にも倫理的にも合理的な立ち位置であるが、日本ではこのモデルを実践するための診療報酬上の裏づけも標準的プロトコルも存在しない。英国等のニードル&シリンジ・プログラムに相当する枠組みの是非は、日本の文脈で未検討である。教科書における重要な議論項目となる。


第7部 医療機関のための実務チェックリスト

7.1 競技者を診療する際

  • [ ] 競技レベルとドーピング検査対象か否かを確認する
  • [ ] 処方・投与前に当該年度の禁止表を照会する(毎年1月1日改定)
  • [ ] スポーツファーマシストまたはJADA/競技団体の窓口に照会するルートを確保しておく
  • [ ] 外用剤の成分を確認する(クロステボール等の含有製剤、海外土産・輸入品に注意)
  • [ ] 点滴は12時間あたり100mLの上限を意識する(M2.2)
  • [ ] 糖質コルチコイド局所注射はウォッシュアウト期間を計算し、競技日程と突き合わせる
  • [ ] 細胞治療・成長因子製剤の該当性を事前に確認する(S2.3、M3.2)
  • [ ] PRPは現行禁止表では禁止されないが、毎年の改定を確認する
  • [ ] 診療内容・使用薬剤を記録し、選手が申告できるようにする
  • [ ] 治療上必要な場合はTUE申請の要否と手続きを説明する
  • [ ] スタッフに対し、自身が使用する外用剤による接触汚染のリスクを教育する(Sinner事案)

7.2 AAS使用が疑われる/申告された患者への対応

  • [ ] 非審判的に、薬剤名・剤形・使用期間・併用薬・最終使用時期・使用パターン(cycle/blast and cruise)を確認する
  • [ ] 入手経路を確認する(個人輸入の場合、偽造品・不良品リスクと救済制度対象外であることを説明)
  • [ ] 基本検査:総/遊離テストステロン、LH、FSH、SHBG、E2、脂質、肝機能、腎機能・尿蛋白、CBC、血圧
  • [ ] 心エコー(LVEF・拡張能・LVH)を検討する
  • [ ] 注射歴があればHBV・HCV・HIV
  • [ ] うつ・自殺念慮のスクリーニング(PHQ-9等)と、陽性時の即時精神科連携
  • [ ] 挙児希望の有無を確認し、必要に応じ精液検査
  • [ ] 女性では男性化徴候を早期に評価する(不可逆化の防止)
  • [ ] 「PCT」の希望に対しては、有効性が未証明であること、男性競技者ではhCG・SERM・AIも禁止物質であることを説明する

7.3 医療機関のガバナンス

  • [ ] ウェブサイト・広告で効果を強調し副作用説明を欠く記載がないか点検する(スポーツ庁が名指しで問題視している類型)
  • [ ] 筋肉増強目的の薬剤提供を行う場合の適応基準・説明同意文書・競技者除外の運用を文書化する
  • [ ] 適応外使用の判断根拠を診療録に残す
  • [ ] 未承認医薬品の広告が薬機法第68条に抵触し得ることを周知する
  • [ ] 2027年版Codeにおけるサポートスタッフ規律強化を見据え、競技者診療の院内手順を整備する

第8部 教科書化に向けたエビデンスギャップ

領域空白
日本の疫学全国的な使用率調査が存在しない。ジム・SNS・医療機関経由の流通実態も未把握
医療機関の実態「筋肉増強外来」的サービスの数、処方内容、有害事象の発生頻度が不明
心血管の可逆性中止後の左室機能・冠動脈病変の回復を評価した縦断研究が不足
PCTRCTが皆無。自然回復との差を検証した試験がない
女性使用者データ全般が乏しい。検出法も女性特異的バイオマーカーが未確立
若年者骨端線閉鎖・長期予後のデータ不足
SARMs・ペプチド肝毒性の頻度・用量毒性関係が不明
Harm reduction日本におけるモデルと法的・倫理的枠組みが未検討
長期フォロー推奨モニタリング間隔のエビデンスが存在しない

参考文献

疫学・死亡率

  • Sagoe D, et al. The global epidemiology of anabolic-androgenic steroid use. Ann Epidemiol 2014;24:383-398.
  • Pope HG, et al. The lifetime prevalence of anabolic-androgenic steroid use and dependence in Americans. Am J Addict 2014;23:371-377.
  • Pope HG, et al. Adverse health consequences of performance-enhancing drugs: an Endocrine Society scientific statement. Endocr Rev 2014;35:341-375.
  • Kanayama G, Brower KJ, Wood RI, Hudson JI, Pope HG. Anabolic-androgenic steroid dependence: an emerging disorder. Addiction 2009;104:1966-1978.
  • Vecchiato M, et al. Mortality in male bodybuilding athletes. Eur Heart J 2025;46(30):3006-3016.
  • Horwitz H, et al. J Intern Med 2019;285:333-340.

臓器障害

  • Baggish AL, et al. Cardiovascular toxicity of illicit anabolic-androgenic steroid use. Circulation 2017;135:1991-2002.
  • Herlitz LC, et al. Development of focal segmental glomerulosclerosis after anabolic steroid abuse. J Am Soc Nephrol 2010.
  • Machado M, et al. The dark side of sports: using steroids may harm your liver. Liver Int 2011.

内分泌・回復

  • Bhasin S, et al. The effects of supraphysiologic doses of testosterone on muscle size and strength in normal men. NEJM 1996;335:1-7.
  • Smit DL, et al. Positive and negative side effects of androgen abuse. The HAARLEM study. Hum Reprod 2021;36:880-890.
  • Shankara-Narayana N, et al. JCEM 2020;105:1827-1839.
  • Vilar Neto JO, et al. Anabolic androgenic steroid-induced hypogonadism, a reversible condition? Andrologia 2021;53:e14062.
  • Coviello AD, et al. JCEM 2005;90:2595-2602.
  • Liu PY, et al. Rate, extent, and modifiers of spermatogenic recovery. Lancet 2006;367:1412-1420.

検出・分析

  • Thevis M, et al. Annual Banned-Substance Review 17th Edition. Drug Test Anal 2025.
  • Piper T, et al. Current Insights into the Steroidal Module of the Athlete Biological Passport. Int J Sports Med 2021;42:863-878.
  • Solheim SA, et al. Stability and detectability of testosterone esters in dried blood spots after intramuscular injections. Drug Test Anal 2022.
  • Longitudinal Profiling of Endogenous Steroids in Blood Using the ABP Approach. JCEM 2023.

規程・公的資料

  • 公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構『2026禁止表国際基準』(2026年1月1日発効)https://www.playtruejapan.org/
  • WADA. 2027 World Anti-Doping Code(2027年1月1日発効)
  • WADA. Anti-Doping Testing Figures Report / ADRVs Report
  • スポーツ庁「スポーツにおける医薬品の不適切使用の防止」「筋肉増強剤を知る」https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/sports/mcatetop05/jsa_00071.html
  • スポーツ庁・日本製薬団体連合会「スポーツにおける医薬品の不適切使用の防止に関する共同宣言」(2024年7月9日)
  • 厚生労働省「医薬品等の個人輸入について」

留意事項(Caveats)

  • AAS研究は倫理上RCTがほぼ不可能で、観察研究が中心である。自己申告バイアス、多剤併用による交絡、闇市場製品の表示偽装・不純物、出版バイアスが大きい。用量と純度は基本的に不明である。
  • 死亡率データはコホートの選択方法により大きく変動する。IFBBコホートは競技出場者、デンマーク・スウェーデンのコホートは検査陽性者やジム利用者であり、一般の使用者への外挿には慎重を要する。
  • Enhanced Gamesに関する使用率(テストステロン91%等)は主催者発表であり、独立検証を経ていない。
  • 禁止表は毎年1月1日に改定される。本資料の記載は2026年版に基づくものであり、2027年版Code発効(2027年1月1日)と併せて再確認が必要である。
  • 特定の薬剤・手技のアンチ・ドーピング適合性について最終判断が必要な場合は、JADAまたは競技団体の医事委員会に個別照会されたい。
  • 本資料は害の予防・臨床管理・医療機関のコンプライアンス確保を目的とし、使用を促進する情報は含まない。
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